2019.4.8

こどもの可能性を拡げる情報

聴覚障がい児の折れない心を育てる学び舎

“聞こえない”を“できない”にしないために

株式会社とNPO法人という2つの事業活動を通して、「聴覚障がい者の社会参加のパラダイムを変える」という挑戦を続けるSilent Voice(サイレントボイス)。NPOで運営するのが、聴覚に障がいのあるこどものための総合学習塾「デフアカデミー」だ。こどもたちにどのような力をつけさせることを目的に、どのようなプログラムを提供しているのか。聴覚障がい児を取り巻く現状や課題を含めて、NPO法人Silent Voiceデフアカデミー谷町六丁目校児童発達支援管理責任者の岡松有香さんにお聞きした。

聴覚障がい児のコミュニケーション
スキルと自己肯定感を高める
聴覚障がい者の両親を持つ代表の尾中友哉さんが、聴覚障がい者の活躍の場を増やそうと「Silent Voice(サイレントボイス)」を創業したのが2014年。2016年には法人化し、さらに2017年1月に同名のNPO法人を立ち上げた。現在、 株式会社Silent Voiceでは企業向けの無言語コミュニケーション研修プログラム「DENSHIN」や聴覚障がい者と職場とをつなぐインクルーシブマネジメントコンサルティングを手がけ、NPO法人Silent Voiceでは聴覚障がい児・難聴児のための総合学習塾「デフアカデミー」を運営している。ともに「聴覚障がい者の社会参加のパラダイムを変える」というミッションを掲げており、聴覚障がい者・健聴者が協働する組織となっている。
「デフアカデミー」が対象とするのは、未就学児から高校生までの聴覚障がい児。現在通うのは小学生・中学生のみだが、登録者数は60名あまりに上る。こどもたちは聴力の度合いも育つ環境もさまざまで、総合支援学校に通う子もいれば、地域の学校の特別学級に通う子もいる。デフアカデミーのコンセプトは、「WhatではなくWhyの部分を考える場」。いわゆる学習塾とは異なり、なぜ自分たちに勉強が必要なのか、マインドの部分を育てることを重視している。
同校で児童発達支援管理責任者を務める岡松有香さんは、2017年9月の開校のタイミングで入社した。障がい者施設でのアルバイトなどを経て、直近は言語聴覚士として病院に勤務していた岡松さん。高校時代にタイのろう学校でのボランティアに参加したのを機に手話に興味を持ち、社会人になってから手話を習得した。手話を使ったコミュニケーションに心地良さを感じ、デフ(耳が聞こえない人)のコミュニティに積極的に参加し、プライベートでもデフの友人が多い。
「障がいがある方って、失敗体験が多いんです。理由や状況がよくわからないまま怒られたり、一生懸命やっているのになぜかうまくいかずにつまずいたり。そういうことが続くことで、結果的に自己肯定感が低くなってしまう。いじめや孤立感により、不登校や引きこもりになってしまう人も少なくありません。“障がい者”というくくりは医学的に区別するためには必要かもしれませんが、“普通の人”と何が違うのかと考えてみると、できないことが多少あったり、同じことをやるのに時間がかかったりするだけ。でも、デフのこどもたちと話をしていると、聞こえないから希望する職業に就けない、聞こえないから結婚もできない…と将来を半ばあきらめている子がたくさんいるんです。今の時代は技術もどんどん発達しているので実際は不可能なことなんてほとんどないのに、何がそこまでこどもたちから自信を奪っているのか…。それはやはり、本人たちのコミュニケーションスキルの不足と成功体験の欠如なんです。“伝わった”という喜びを体感できる機会が圧倒的に少ないんですね。だから、“伝わらないならいいや”“わからないからいいや”とコミュニケーションすることをあきらめてしまう。さらに、身近にロールモデルがいないことも大きいでしょう。デフアカデミーでは、そこを補完するプログラムを考案し、提供しています」(岡松さん)
聞こえる・聞こえないに限らず、
生きていくうえで必要な力を身につける
デフアカデミーのプログラムの柱が、コミュニケーションスキルの養成、自己肯定感の構築、そしてロールモデルとの出会いの創出だ。
普段の生活では、「聞こえない・話せない=伝わらない」と、周囲の人とのコミュニケーションをあきらめてしまうこどもも多い。デフアカデミーでは、「伝えることにどれだけ時間をかけてもいい」というルールのもと、手話、発話、口話(口の形で言葉を伝える)、筆談などさまざまな手段でコミュニケーションが行われている。
「一方的に発信するのではなく、どう伝えたら相手が理解できるだろうかと相手の立場に立って考え、あきらめずに伝える力を育てています。具体的な手法としては、学年や子どもの成長段階に応じて、ジェスチャーゲームやディベート、ディスカッションなどを行っています。意識しているのが、自分の頭で考える力、相手の意見を受け止める力、協働する力といった、聞こえる・聞こえないに限らず生きていくうえで必要な力です。時間をかけてコミュニケーションを取り合うなかで、将来、社会で活躍するために不可欠なスキルを身につけることを目指しています」(岡松さん)
また、自己肯定感の構築のために取り入れているのが、『集中プリント』だ。パズルやゲームの要素を盛り込んだ問題を、1分間集中して解いていく。視覚トレーニングの意味合いもあるが、成功体験をさせることが何よりの目的になる。
「ドリル的なものなので、何度もやっているうちに1分間でできる量が増えて、タイムが上がって、成績が伸びていきます。こどもたちは、最初は『こんなんできへん!』とか『絶対、ムリや!』と言うのですが、だんだんとやればできるという気持ちになってきて、文句や自虐的な発言は不思議と出なくなります。最初は高く見えるハードルでも積み重ねていくことで越えられるという成功体験が、やればできるという自己肯定感につながっているのでしょう」(岡松さん)
『集中力プリント』の他にも、自己肯定感の向上を目的とした教材がいくつかある。その一つが、『形で覚える都道府県』だ。都道府県が楽しいイラストで描かれたフラッシュ型教材で、『フクっと、笑う、福岡県』のように歌に合わせて覚えられるようになっている。聴覚に障がいのある人は一般的に視覚が優位であり、この教材にはそうした強みを伸ばすという意図もある。『形で覚える都道府県』にまつわる、こんなエピソードがある。
「聴力レベルにより手話や発話の度合いに違いがあり、こどもたちの間では発話がうまいことがある種のステータスになりがちなんです。そのようななかで、Aちゃんは家族みんながデフという環境で育ち、発話が苦手で、いつも話せる子の後ろに隠れていました。『形で覚える都道府県』のゲームでも、答えられず負けてしまい、いつも泣いていました。でも、『勝てなくてもあなたはすごく頑張っている、ステキだよ』、とスタッフが伝え続けていると、だんだん手が挙がるようになって発言もどんどん増えてきて…。今ではすっかり明るく元気な子になりました。ゲームにも自信満々に答えています。教材を通した成功体験に加えて、周囲に認めてくれる大人がいることって大事なんだと、改めて感じた一件でした」(岡松さん)
さらに、デフアカデミーでは、聴覚障がいのある弁護士や医師、スポーツ選手などのロールモデルと出会う機会も提供している。
「社会で活躍している人に実体験を聞くことで、自分もできるかもしれない、夢や目標を持って頑張ろうと、ポジティブな未来を描けるようになります。そして、その未来を実現するためには、今からしっかりと準備することが大事だよねと、勉強のモチベーションも上がるようにサポートしています」(岡松さん)
社会で活躍するために不可欠な
書記言語としての日本語力を高める
デフアカデミーが開校して約1年半。登録者数は続々と増え、場所とスタッフの不足で新たな受け入れが困難なほどになっている。それだけニーズがあるということだ。その背景には、聴覚障がい児を取り巻く環境の変化がある。平成26年度の聴覚支援学校(ろう学校)の生徒数は、ピークだった昭和34年の41.3%まで減少。その要因の一つに地域の学校に通う聴覚障がい者の増加が挙げられる。その理由として、岡松さんは「多くの保護者、特に健聴の保護者は社会のマジョリティに合わせた学力及びコミュニケーション技術、人間関係の構築を望んでおり、人工内耳の普及も伴って地域の学校へ行く聴覚障がい児が増えているのではないか」と見解を述べられたが、実際、地域の学校に通う聴覚障がい者のなかには、適切なサポートが受けられないケースもある。社会が抱える課題とデフアカデミーの今後の展開について伺った。
「これまでは、デフのコミュニティという枠を超えて社会に出たときに、苦境に立たされてしまう人が少なくありませんでした。一方、適切な教育やサポートを受けた人たちは、自立し、社会で活躍しています。実際、Silent Voiceにも能力の高いデフのスタッフがたくさんいます。何が岐路になるかというと、書記言語としての日本語力の有無が大きいんです。現代社会では、メールはもとより会議もチャットで行うことが増えていて、聴覚に障がいのある人がそうでない人と同等に仕事ができる環境が整ってきています。ただ、そのときに日本語が破綻していたらコミュニケーションが成立しません。 一般的にはあまり知られていませんが、“日本手話(ろう者が使う手話)”と書記言語としての“日本語(健聴者が話すいわゆる日本語)”は別のものです。そもそも、手話には「筆記言語」はありません。日本語と同様に日本手話にも独自の文法があり、表情や首ふり、眉の動き、目の細め方、口形などなど日本手話には日本語とは異なる文法が存在しており、それを書記日本語に置き換える場合どうなるのか? ここがデフの方にとって、また私たち手話学習者にとってもとても難しい部分でもあります。また、日本で唯一の私立のろう学校である明晴学園(東京都品川区)では、第一言語として日本手話を獲得し、第二言語として書記言語 の日本語を習得するというのが学校の方針としてあります。このように手話ができることと、日本語の読み書きができることは、決してイコールではないのです。そこで今後は、手話と書記言語とをマッチさせていくための教材開発などを、大学との共同研究で進めていきたいと考えています」(岡松さん)
最後に岡松さんは、普段デフの人たちと接するなかで感じていることについて、こう語った。
「社会的な“障がい”がなぜ起こるのかを突き詰めると、“支援する側・される側”という構図があるからだと思うんです。障がいがある人もない人も、持ちつ持たれつの関係ができれば、障がいという概念自体が変わってくるはずです。大切なのは、お互いを理解し合う姿勢です。例えば、デフの人は“耳が聞こえる”というのがどういう状態かわからないわけです。耳が聞こえる人だって、ぼんやりしていたら、耳から音が入ってきても理解はできません。この感覚が、デフの人にはわからない。ちゃんと説明しないと、伝わらないんですね。まずは、耳が聞こえる自分たちのことを知ってもらう。すると、デフの人たちは聞こえる人もそう言うことがあるんだな、お互い話さないとわからないな、となる。自分の状態を当たり前と思わないこと、壁を取り払う努力を怠らないことが大事だと思います」
聴覚障がい児にとっては何よりの“障がい”となるのは、聞こえないこと自体ではなく、聞こえないことが社会生活や自己実現の支障になること。だから、すべてのこどもたちが社会とつながる力、そして、自己肯定感を持って自ら未来を拓いていくマインドを育てることが必要になってくるのだろう。

デフアカデミー

NPO法人Silent Voiceが運営する聴覚障がい・難聴児専門の総合学習塾。2017年9月に開校。折れない心を育て、自主性を引き出すことに主眼を置き、聴覚障がい・難聴児の学力や人間関係にも影響を与えるコミュニケーションの課題に、民間教育の立場から取り組んでいる。代表理事の尾中友哉氏は(株)Silent Voiceの代表取締役も務めており、両組織が連携しながら聴覚障がい者の活躍の場を増やすための活動を展開している。

文/笹原風花 撮影/スタジオエレニッシュ 岸 隆子